自分が見たものが現実?
3月25日の能登半島地震には、本当にビックリしました。
私はその日金沢で、ある会合に参加してビルの4階の会議室にいましたが、今にもつぶれそうな凄い揺れに何もできず、他の参加者と呆然としているだけでした。
揺れがおさまり、すぐに外を見ると電信柱や電線が大きく揺れていました。もしかしたら大変な事が起きたのでは?と思い、自宅に電話をしても回線が繋がらないし、情報が入ってこないので焦っていたら、会合に参加していた方が携帯TVを見て「震源地は輪島付近らしい、それも震度6強」と言っていました。「金沢は?」と聞くと震度4と言われ、とっさに喜楽楽はどうなったのかと思い電話をかけ続けるが5時間ほど繋がらず焦ってしまいました。
やっと管理人の千葉ちゃんと繋がって様子を聞くと、意外な明るい声で「ゼンゼン大丈夫でーす」と返事がきて、安心したのと拍子抜けしたのとであっけに取られた感じでした。
しかし、よく聞くとほとんどのふすまが外れて倒れたのと、コップが2つ割れたそうです。
千葉ちゃん曰く
「地震は凄かったけど、初めての体験で怖いと言うより楽しかった。それより最近のストーブお利口ですね。慌てて消しに行ったら2台とも消えていたよ。」でした。
しかし、夜のニュースを聞きまたまたビックリ、見慣れた門前町と軒並み倒れた家が映っているので、千葉ちゃんの話と一致しないぞ、報道は極端なところだけクローズアップしているのかなと思いました。とにかく喜楽楽に行かなくちゃと思い、翌日の予定をキャンセルして門前に行く事にしました。
予想以上の被害に唖然!
ニュースでは、道路も寸断されているらしいが、とりあえず行けるところまで行ってみようと妻と朝の6時半に出発しました。能登有料道路は柳田で通行止めになっており、国道249に入り富来まで行くと、この先門前方面は通行止めになっていました。ここから先は迂回路を利用し、細い道をクネクネと運転していくと、途中ブロックが倒れていたり、瓦が落ちていたり、歪んだ家があったりと、門前に近くなるにつれて被害が大きくなってくいくのを感じました。
いつもより、1時間遅れで何とか喜楽楽に着き中には入らず、すぐに千葉ちゃんを乗せて町まで行きましたが、唖然としてしまいました。軒並みテレビの報道の通り、と言うよりもっとすごい状況でした。千葉ちゃんも喜楽楽の周辺と大違いなのでビックリ、やっと事の重大さを知った様でした。
私たちは、すぐに知人の家を訪ねてみると2軒の家は、傾き玄関の戸は半分開いたままで動かず、下駄箱や部屋のタンス類は倒れ足の踏み場もない状態でした。避難所に行ったらお一人は娘さんの家に非難し、もう一人は別の場所に避難して怪我もなく元気だと聞きホッとしました。
また別の知人は、半壊の家の前で呆然としていて、昨日から何も食べていないと言うので、持って行ったペットボトルとおにぎりを置いてきました。
喜楽楽によく遊びに来てくれる人の家も、柱が折れ壁が落ち基礎が10cm以上ずれ、余震がきたら倒れそうなのに掃除をしていました。私たちも何といって良いやら言葉に困りましたが、一緒に片付けや掃除の手伝いをしました。ただ、救われたのは主人や息子さんが前向きで「この様なきっかけがないと変われないんでしょうね。この町もきっと生まれ変わるんでしょうね」と冗談交じりで話をしていました。その親子は、家がそのような状態にもかかわらず、今日も自分の家で寝ると言うので、ぜひ喜楽楽で泊まるように説得してきました。それに断水しているので、喜楽楽から水を運びました。
日帰りで喜楽楽に行ったのつもりが・・・
私もママも日帰りで帰る予定で来たのですが、現状を知ってしまったら、このまま帰れなくなりボランティアとして残る事にしました。
翌日門前役場に行くと、突然の事で何から手をつけて良いのやら分からず右往左往していました。ボランティア本部は今日中に立ち上がる予定なので、明日の朝もう一度来てくださいとの事でしたので、係りの人に喜楽楽を使ってくださいと言って昨日の知人の家の手伝いに行きました。
午後に時間が空いたので金沢に着替えを取りに帰り、会社のスタッフに現状の説明ややり残しの仕事をして、翌早朝門前に向かいボランティアミーティングに参加し手伝う事になりました。
早速、仮説トイレの掃除やゴミの仕分け、被災者の家の片付けや掃除に追われました。
被災者の家に行くと、おばあちゃんが一人で住んでいる所も多く、私たちに「すみませんねー。掃除は私がしますから倒れたタンスだけ起こしてくだされば充分ですから」と遠慮がちなので私たちも「何でもさせてください、その為に来たのですから」と言うとおばあちゃんは、「今まで対岸の火事と思って何もしないで来たけど、これからはお返しさせてもらいます」と手を合わせていました。
私は、8人のグループで行動していました。若い人が中心でしたが、皆さん積極的に黙々と働いています。被災者の家に行っても家人に対する気遣いはもちろん、作業も誰に指図されなくても動いています。さすがに自発的に参加する人の意識は高いなーと頭が下がる思いでした。私も久しぶりの力仕事でチョッと筋肉痛です。
日本中から報道陣、モラルは?
その間、報道陣がしつこく付きまとい仕事の邪魔になる場面も多々ありましたが、報道陣も「すみません。私たちも仕事なのでお願いします」と金魚の糞の様に付いていました。
全国から凄い数の報道陣が来て狭い駐車場に車を止めるので、係りのボランティアさんも大声で「被災者やボランティアの邪魔をしないでください!車は直ぐ移動してくださーい」と声を枯らしていました。確かに報道陣のモラルも考えてもらいたいですね。
翌朝、ボランティア本部に行くと地元に土地勘がある人が本部にいないので居てほしい、と言われ私とママは本部でニーズと言う担当をする事になりました。確かに本部で働く人は、災害を経験した各地から派遣された方たちが中心で、地元の人が2人程しかいなく困っていたようでした。
ニーズと言う役割は、被災者からの電話でのボランティア依頼や、全国からボランティアに行きたいけどアクセスを教えてほしいとか、炊き出しに行きたい等など電話での窓口業務です。確かに土地勘がないと返事に困る電話も多く、電話に馴れた人が適任のようでした。
中には、苦情電話も多々ありました。
お役所に頼んでも何もやってくれない、折角ボランティアが来たのに赤紙(危険家屋で立入禁止)が張ってあると言って帰ってしまったけど誰に頼めば良いのか、宿泊先をあっせんしてくれなきゃボランティアにいけないじゃないか、などなどです。(ちなみにボランティアは基本的には、自分で自分の事を出来る人のみ受け入れています)
被災者の方からの一番多い苦情は、役所に電話をしたがたらい回しにされ、挙句の果てボランティア本部にまわされ、さらに危険な作業は出来ないと断られ(屋根のシート張り等の作業)「もう誰にも頼まん」と怒鳴られた事もありました。私も何とかしたいけどボランティアは安全第一なので低調にお断りして、自衛隊や消防署員を案内しますが、忙しくて回りきれないのが現状でした。
お役所の対応
やはりお役所の皆さんも慣れないことばかりで、対応に戸惑っている感じで臨機応変の対応が出来ないのでしょう。それにお役所の体質もあって慣例を曲げられないのでしょう。ですから、ゴミ一つにしても分別しなさいと指導するけど、現状とても出来る状況ではありません。壊れた電気製品や割れたガラス、土壁、茶碗、タンス、襖等などあらゆる物が運ばれてきます。ボランティアのリーダーや被災者とお役人が喧嘩する場面もありました。
それぞれの立場があり、お互い分からないわけじゃないのですが、現実を見ながらの対応を上役が決断するしかないですね。結局ゴミ収集車も何もかも混ぜ合わせて取っていきました。
喜樂楽を開放
喜樂楽を使ってください。と申し込みましたがボランティア本部としては、一律に出来ないサービスはしないのが建前なので、ボランティアさんの宿泊を公けに受け入れられない状況でしたが、ご縁のあった方々に宿泊のみですが無料で利用していただいています。
被災地近辺は、宿泊施設も限られているので県外の方は、寝袋持参で車で寝ている方が多いようです。また、1時間ほど離れた所に宿泊し門前まで通っている人もいらっしゃいました。
喜樂楽で泊まられた方も寝袋持参で車で寝る覚悟で来たので、お風呂にも入れて大喜びでした。泊まられた方は朝起きると自発的に掃除をしたりして帰られました。
今後の復興は?
被災地の復興は、この先長い時間を要すると思います。門前町は老人比率が47%と言う高齢者の町です。ある73歳の方とお話をさせていただきましたが、「わしは、まだ若い方だから使い走りをさせられているよ」と笑っていました。復興については、ご老人の方は建て直す気力も資金も無いですので、どうしようかと途方に暮れています。仮設住宅も2年間だけしか住めないそうです。
息子さんや娘さんが近県にいて、そちらに行く方もいるそうですが、長年住み慣れた所を離れるのは偲び難いですね。また、自分の子供に遠慮をして行けないという人もいました。
その方は、東京の息子さんから手伝いに行くと電話があったのに、泊まる所も無いと断ったそうです。何だかやるせない話ですね。
この先、行政の対応が問われると思います。私達個人では大きなこともできず、陰から応援するだけです。私も9日間のボランティアを通じ、被災者が本当に望む事を自分はどれだけお手伝いできたのだろうか?と思いました。結局は、自己満足に過ぎなかったのか?とも、感じました。
小さな想いが集まると・・・
でも、一人ひとりは大きなことはできなくても、この小さな想いが被災者の心の支えになり、行政を動かす原動力にもなっている事も間違いないようです。被災者も対岸の火事ではなくなり、今度は助ける側になりたいと口々に言っていました。
全ては、必要必然と言いますが、私達は、体験しないと痛みが分からないので、神は敢えて体験させ調和の方向に導いているのでしょうか?。できれば、このような体験はしなくても分かち合いや調和をしていきたいものですね。
私自身もこのような長期間?ボランティアに参加したのは初めてなので、本当に学ぶ事が沢山ありました。中でも人々の優しさや暖かさをいっぱい感じました。自然の力強さ、そして大地震に関係なく咲く桜や花々の優しさも感じました。元気でいられる喜びなどなど感謝です。子供たちやスタッフもボランティアに駆けつけてくれた事も嬉しかった。
ボランティアにいけない方々からの寄付金、励ましの電話も嬉しかったです。
この後、被災者の皆様の一日も早い復興と健康をお祈りしたいと思います。この先も少しでもお手伝いしていきたいと思っています。
藤井敏男
–

ツイッターのフォローをお願いします
いつもありがとうございます。今日のrankingは?
1日1回クリックのご協力お願いします。
